歴史

創業1846年。江戸時代より大阪の地で時計商を営んでおります。

1846年(弘化3年)に石原萬助が、南久宝寺町3丁目付近で「石原時計司」を創業。和時計に加えて、輸入時計や測量機器などの舶来品を扱っていました。

1875年(明治6年)に萬助の跡を継いだ石原久之助は、南久宝寺町に「石原時計商舗」を開業。時計塔がそびえた煉瓦造り三層の建物では時計等を販売した他、自転車、写真機、楽器など輸入品専門の店舗がありました。

1889年(明治22年)には京阪の時計商と共に「大阪時計製造会社」を設立して掛・置時計を製造。1895年(明治28年)には関西経済界で国産初の懐中時計を製造することになりました。
  
1915年(大正4年)に心斎橋南詰に鉄筋コンクリート造りのビルが完成し、南久宝寺町から移転しました。セセッション風のビルで、4階は吹き抜けのホール、屋上には時計搭の他、噴水が配された庭園などがありました。階段のマホガニーの手すり、エレベーター、シャッターなど設備の整った建物でした。

1931年(昭和6年)に石原政造が家督相続三代目となり、1939年(昭和14年)には淀屋橋南西角に「中央ビルディング」が完成しました。洋行中に欧米の建築から刺激を受けた政造は、眞水三橋設計事務所に依頼しこのビルの外装、内装などに力を注ぎました。

1954年(昭和29年)に「中央ビルディング」から「石原ビルディング」に改称しました。

1964年(昭和39年)、「石原ビルディング」に石原時計店が再開することにしました。

2013年、「石原時計店物語」(石原実著、海風社)を刊行。

2021年7月まで「石原ビルディング」にて営業しておりましたが、淀屋橋地区再開発事業の開始に伴い、現在は大阪市中央区博労町にて営業しております。

2025年(予定)の再開発事業完成時には、再び淀屋橋にて営業します。